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2011年08月16日
東日本大震災 南三陸
3月11日に発生した東日本大震災では当日夜に高山を出発し、翌朝福島県南相馬市に入りました。
しかし、原発事故によって南相馬市内では「窓を閉めるように。外出は控えるように。」との放送が流され、
避難勧告も出されため、この当時、南相馬市での活動は難しくなってしまいました。
南三陸町の支援開始

3月15日朝時点での南三陸町志津川。
主要道路の瓦礫が除去され、やっと車が通れるようになりました。
この時期、被災地内での感覚はとても言葉にできないものがありました。

南三陸町防災庁舎。結婚を控えた女性職員さんが、「皆さん避難してください」と叫びながら殉職されたという話を聞き、本当につらい気持ちになりました。

消防車も津波に巻き込まれました。

津波が襲った地域では、ほぼ全ての建物が全壊。この時期、リュック1つをしょって歩く方がたくさんみえました。

飛騨地域で集めた物資や食料を拠点避難所で配付。

県外から初めて支援物資が届いた避難所でテレビ局の取材を受けました。
この後、南三陸町長から「なんとか燃料を調達できないか」との相談も…。
すぐ太平洋側の南三陸町を出発し、国道沿いに西へ西へ軽油を求めて車を走らせましたが、初めて開いているガソリンスタンドを見つけた時は既に日本海側の町へ来ていました。
しかも、「10リットルだけ」ということでしたので、一旦高山へ戻らざるをえませんでした。


一旦飛騨へ戻り、直ぐに燃料を調達し、3月中に灯油約3,000リットル、軽油約3,000リットルを南三陸町へ…。
南三陸町長からも「本当にありがとう、助かった。」

ガソリン・軽油が再び売られ始めた当時は、朝4時頃からガソリンスタンドの前に列が出来始め、6時の時点では既に数百メートルに…。

断熱シートを「冷たい床で寝ていた避難所」に配布。
「板の床は背中が冷たくなって困っていたけど、暖かく寝られるようになった。」と大喜びされました。
大きなお風呂『はまセン飛騨高山の湯』を設置運営

6月下旬、お風呂を運営していた陸上自衛隊が撤退することとなったため、南三陸町から「お風呂を作れないか?」との相談がありました。
2,000~3,000リットル規模のお風呂を男女別で作る…となれば、相当な機材が必要。
「大変そうだけどなんとかやってみよう!!」



6月29日、苦戦した部分もありましたが、なんとか自衛隊とほぼ同規模のお風呂を設置し運営を始めました。
名前は「はまセン飛騨高山の湯」。

世界遺産の白川村から「平瀬温泉の湯」も届きました。
子ども達も、お風呂上りはいい笑顔に…。

8月中旬、「はまセン飛騨高山の湯」も残り数日となってきました。


8月22日、「はまセン飛騨高山の湯」最終日。
延べ7,000人以上の被災者がこのお風呂を利用されました。
南三陸町長と一緒に記念撮影。スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
しかし、原発事故によって南相馬市内では「窓を閉めるように。外出は控えるように。」との放送が流され、
避難勧告も出されため、この当時、南相馬市での活動は難しくなってしまいました。
南三陸町の支援開始

3月15日朝時点での南三陸町志津川。
主要道路の瓦礫が除去され、やっと車が通れるようになりました。
この時期、被災地内での感覚はとても言葉にできないものがありました。

南三陸町防災庁舎。結婚を控えた女性職員さんが、「皆さん避難してください」と叫びながら殉職されたという話を聞き、本当につらい気持ちになりました。

消防車も津波に巻き込まれました。

津波が襲った地域では、ほぼ全ての建物が全壊。この時期、リュック1つをしょって歩く方がたくさんみえました。

飛騨地域で集めた物資や食料を拠点避難所で配付。

県外から初めて支援物資が届いた避難所でテレビ局の取材を受けました。
この後、南三陸町長から「なんとか燃料を調達できないか」との相談も…。
すぐ太平洋側の南三陸町を出発し、国道沿いに西へ西へ軽油を求めて車を走らせましたが、初めて開いているガソリンスタンドを見つけた時は既に日本海側の町へ来ていました。
しかも、「10リットルだけ」ということでしたので、一旦高山へ戻らざるをえませんでした。


一旦飛騨へ戻り、直ぐに燃料を調達し、3月中に灯油約3,000リットル、軽油約3,000リットルを南三陸町へ…。
南三陸町長からも「本当にありがとう、助かった。」

ガソリン・軽油が再び売られ始めた当時は、朝4時頃からガソリンスタンドの前に列が出来始め、6時の時点では既に数百メートルに…。

断熱シートを「冷たい床で寝ていた避難所」に配布。
「板の床は背中が冷たくなって困っていたけど、暖かく寝られるようになった。」と大喜びされました。
大きなお風呂『はまセン飛騨高山の湯』を設置運営

6月下旬、お風呂を運営していた陸上自衛隊が撤退することとなったため、南三陸町から「お風呂を作れないか?」との相談がありました。
2,000~3,000リットル規模のお風呂を男女別で作る…となれば、相当な機材が必要。
「大変そうだけどなんとかやってみよう!!」



6月29日、苦戦した部分もありましたが、なんとか自衛隊とほぼ同規模のお風呂を設置し運営を始めました。
名前は「はまセン飛騨高山の湯」。

世界遺産の白川村から「平瀬温泉の湯」も届きました。
子ども達も、お風呂上りはいい笑顔に…。

8月中旬、「はまセン飛騨高山の湯」も残り数日となってきました。


8月22日、「はまセン飛騨高山の湯」最終日。
延べ7,000人以上の被災者がこのお風呂を利用されました。
南三陸町長と一緒に記念撮影。スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。