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2011年08月20日

東日本大震災『はまセン』①


  『はまセン(気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター)』代表として支援活動を展開

3月21日、南三陸町に多くの物資と人材が届くようになってきたため、「支援が届き難い避難所を支援しよう」と南三陸町志津川から気仙沼市本吉町小泉地域まで避難所を一軒一軒訪ね歩きました。
その結果、気仙沼市本吉町小泉浜の「浜区避難所」が最も支援を必要とする所の一つであり、他の団体による支援も無かったため、浜区避難所を中心に支援活動(物資支援等)を始めました。


3月下旬、小泉浜に初めてのお風呂が誕生!!
3月下旬、「今一番欲しいものはお風呂」という話を受け、お風呂作りに取り掛かりました。
津波で被災したビニールハウスをお借りし、井戸の水をポンプアップ。
それを高山市の災害用給湯器で温め、普段はサンマなどが入っているタンクへ…。
この1,000リットルのタンク風呂では、大人の男性4人が同時に足を伸ばして入ることも可能。

このお風呂設置には、高山市仏教会青年部と飛騨の個人ボランティアが手伝ってくださいました。
お風呂の名前は、三郎さんの井戸を使用したため「サブロー&飛騨高山の湯」となりました。

  「サブロー&飛騨高山の湯」入口

  「サブロー&飛騨高山の湯」脱衣室

  「サブロー&飛騨高山の湯」浴室

入浴初日、お風呂の中から子ども達がキャッキャと遊ぶ声が聞こえ、私達も嬉しくて涙が出そうに…。
「2週間ぶりに入ったお風呂はまるで天国でした。体と共に心も軽くなったような気がします。」という声もありました。
その夜は、星空が無茶苦茶きれいでした…が、星がきれいに見えるのは「町の灯り」が全く無いため。星の数以上の涙が流されたかと思うと、「まだまだ頑張らなきゃ…」という気持ちにさせられました。
その後、このお風呂で被災された方とボランティアが一緒に入浴し、心を一つにして復興へ向けた活動を行う元に…。
このお風呂は、7月に解体されるまで被災された方とボランティア延べ1万人以上が利用しました。

この後洗濯機も設置したため手で洗わなくても良くなるなど、少しずつ避難所生活が改善されてきました。


  子ども達も笑顔で遊んでくれるようになりました。

しかし、避難所内では「インフルエンザ」「ノロウィルス」で非常に厳しい状態が続きました。
また、後ほどわかった事実として、当時避難所にみえた方で「結核」に罹患していた方も…。


様々な分野のボランティアが…



様々な分野のボランティアを募集したところ、「医療支援」「炊出し」「美容師」「大工」など多くの方が集まってくださいました。

2つ目のお風呂を!!

「作ってもらったお風呂は好評なんですが、井戸の水量がもたなくなりそう。もう1ヶ所、お風呂を作ってもらえませんか?」
との相談がありましたので、高山のボランティアグループに手伝ってもらい、2つ目のお風呂を作ることになりました。
「この場所に作ろう!!」


4月中旬、2つ目のお風呂、「はま泉小南の湯」が完成。
9月に解体されるまで、こちらも被災された方とボランティアで延べ1万人以上が利用したと思われます。

お風呂が2つ完成。
でも、避難所の周りを見ると、1ヶ月間何も変わりませんでした。


「時が止まったまま。時を動かそう!!」

瓦礫の中を歩くと、3時20分~30分くらいを指して止まった時計がいくつも見られ、まるで「震災で時が止まってしまった」とも感じられました。
「この地域はね、いつも最後になる地域なんですよ。」という言葉も…。


「この地域の、止まってしまった時を動かしたい!! 災害ボランティアセンターを立ち上げて、この地域の瓦礫を処理しよう!!」


この小さな避難所で「災害ボランティアセンターと避難所の併設」。
先ずは、全体的な進め方を話し合いました。


避難所で毎日行われていた朝礼で、
「災害ボランティアセンターを、この浜区避難所で立ち上げます。ボランティアに作業をお願いしたい方は、ボランティア依頼票の記入をお願いします。」
と話をしたところ、多くの依頼が…。
ということで、「全軒対応」に切替えました。


看板を設置し、駐車場の整備を進めました。
この時ご協力頂いた皆さんには、「はまセン」の基礎作りで大変なご協力を頂きました。


全軒対応を行うためには、多くのボランティアを呼んで作業を進めなければならないため、インターネットで募集すると同時に、テント村を作り、ボランティアの受入準備を進めました。

避難所責任者の及川さんと地区の振興会長(こちらも及川さん)さんとの3人で話し合いながら準備を進めました。
さあ、受入準備完了!!  

Posted by NPO法人Vネットぎふ&サポートコミュニティ飛騨 at 10:10Comments(0)東日本大震災『はまセン』

2011年08月19日

東日本大震災『はまセン』②

『はまセン』活動開始!!
4月20日、『はまセン(気仙沼市小泉浜災害ボランティアセンター)』を立上げ、
その代表としての活動が始まりました。
始めはたった1人からのスタートでしたが、メール、ツイッター、ブログ、フェイスブックなどのインターネットツールで、徐々にボランティアが集まってくれるように…。


津波で倒された木を人の力で運ぶためにチェンソーで細かく切断。
自らもチェンソーを持って現地へ…(初めてチェンソーワークを経験しました)。


GWに入り、徐々にボランティアも増えてきました。

ビニールハウスを手作業で解体

津波で押し倒されたビニールハウス。
道路との間にある畑をつぶさないようにするためには、このハウスを「手作業」で解体しなければなりませんでした。


インパクトドライバー、ディスクグラインダーを使用して解体を進めました。

支援の輪が全国に広がりました

全国各地から、ボランティアが続々集まってくれるようになってきました。
この頃、「最高にうまくいっているボランティアセンターですね。」と評価してくださるマスコミ関係者も…。

『はまセン』敷地いっぱいにボランティアが集まってくださいました。
北海道から沖縄、遠くはサンフランシスコ、香港、インドなどからも…。


ボランティアの皆さんには毎日寄書きをお願いし、避難所に貼らせて頂きました。

ボランティアが増えてきたため、第2のテント村を設置。

様々な「得意分野」を持つボランティアが参加

  高所作業を得意とするボランティアも…

  消防庁レスキュー部隊のOBや現職消防署員さんが、自ら厳しい作業に…

  解体業を専門としている方がリーダーとなり、解体を進めることも可能に…

  重機持参で参加してくださるボランティアも…

  九州からユンボ、ダンプを運んでくださった方も…

  大木の処理で活躍してくださったのは造園業者さんでした

様々な分野で活躍される方が其々の持ち味を活かして活動してくださったため、過去の災害ボランティアセンターとは全く違う大きな機動力で作業を進めることができました。皆さま、本当にありがとうございました。

南三陸町へもボランティアを派遣
「震災から1ヶ月以上お風呂に入っていない」という話を聞き、南三陸町名足地区の支援も行うことになりました。

「洗濯は井戸の水を手で引っ張り上げてやってます」という話もあったため、井戸からポンプアップして洗濯・洗面ができるようにセットし、その横にお風呂を…。

この夜、1ヶ月半ぶりにお風呂に入られた方もみえました。
「生き返った気持ちがした。」


その後、名足地区の区長さんや振興会長さんから正式に支援要請を頂いたため、名足地域の瓦礫処理も行わせて頂きました。

もしかするとおばあちゃんが…
家の解体処理や瓦礫処理を進めていたら、「可能性は低いけど、もしかするとおばあちゃんがあの屋根の下にあった部屋にいたかも。」という話が…。
震災から1ヶ月以上経っていたため「せめて見つけてあげられたら…」という思いで解体作業に取り掛かりました。


「屋根の下の部屋」におばあちゃんが残っていたかもしれないという話が…。

ボランティアの皆さんも頑張って捜索、解体処理をしてくださったのですが…

おばあちゃんを見つけることはできず、涙が止まりませんでした。

気仙沼市長と

気仙沼市、菅原市長と。
「支援活動、本当にありがとうございます。」という言葉を頂きました。



子ども達の笑顔も増えてきました。

もう少しだ。頑張ろう!!  

Posted by NPO法人Vネットぎふ&サポートコミュニティ飛騨 at 10:10Comments(0)東日本大震災『はまセン』

2011年08月18日

東日本大震災『はまセン』③

『はまセン』作業終了

6月12日、小泉浜における作業を無事終了し、はまセン閉所式…だったはずなのですが、直前に南三陸町名足地域からの支援要請があったため、浜区避難所を拠点としたままで支援活動を続けさせて頂くことになりました。
小泉浜の皆さまには、ご理解ご協力頂き本当にありがとうございました。
(閉所式ではなくて、小泉浜作業終了式に急遽変更。)

この挨拶の際、震災直後のつらかったことが思い出され、涙を流さずにはいられませんでした。http://www.youtube.com/watch?v=xhoBjiGam0A




小泉浜作業終了式の後、小泉浜の皆さんが開いてくださった懇親会。
涙と笑顔が入り混じった会に…。皆さん、本当にありがとうございました。


『はまセン』閉所

6月26日、南三陸町の支援活動を終え、今度こそ本当に閉所式。
黄色い風船をあげて、地域皆さんに幸せがやって来るよう祈りました。


小泉浜の皆さん、ボランティアの皆さん、長い間本当にありがとうございました。




震災当日、津波の被害を見て泣いていたのり君も元気になってくれました。


『はまセン』の活動にご協力頂いた全ての皆さま、本当にありがとうございました。

震災被災地の子ども達が、震災に負けず、
心豊かに成長することを祈っています。
  

Posted by NPO法人Vネットぎふ&サポートコミュニティ飛騨 at 10:10Comments(0)東日本大震災『はまセン』

2011年08月17日

東日本大震災『はまセン』④


震災でサンマ漁船を失ってしまった「のり君」のお父さんとおじいちゃん。
総額1億円以上かかりましたが、船を買い、漁に出られるようになりました。
震災に負けず、頑張って欲しいですよね。



気仙沼でも指折りの船頭さんから、
「川上さんや『はまセン』のおかげで生きる勇気をもらったっぺー。飛騨の皆さんにもお世話になったから、お礼にサンマを送るよ。」
と、サンマ1,500匹が届けられましたので、「サンマの振る舞い&炭焼き」をさせて頂き、あわせて「メッセージ」と「漁業支援カンパ」をお願いしました。


あぶらの乗った最高のサンマ。多くの方に喜んで頂きました。

いい色に焼けてますよね~。でも、上手く焼くのはなかなか難しいんですよね。

1,000人を超える皆さんが、船頭さんや漁業関係者に対するメッセージを書いてくださいました。

子ども達も一生懸命書いてくれました。

この寄書きは、サンマを送ってくださった船頭さんの船(火災で焼けて修理中)が再び出航する時、張ってもらうことになっています。
頑張ろう日本!! 頑張ろう東北!!  

Posted by NPO法人Vネットぎふ&サポートコミュニティ飛騨 at 10:10Comments(0)東日本大震災『はまセン』

2011年08月16日

東日本大震災 南三陸

3月11日に発生した東日本大震災では当日夜に高山を出発し、翌朝福島県南相馬市に入りました。
しかし、原発事故によって南相馬市内では「窓を閉めるように。外出は控えるように。」との放送が流され、
避難勧告も出されため、この当時、南相馬市での活動は難しくなってしまいました。


南三陸町の支援開始

3月15日朝時点での南三陸町志津川。
主要道路の瓦礫が除去され、やっと車が通れるようになりました。
この時期、被災地内での感覚はとても言葉にできないものがありました。


南三陸町防災庁舎。結婚を控えた女性職員さんが、「皆さん避難してください」と叫びながら殉職されたという話を聞き、本当につらい気持ちになりました。

消防車も津波に巻き込まれました。

津波が襲った地域では、ほぼ全ての建物が全壊。この時期、リュック1つをしょって歩く方がたくさんみえました。

飛騨地域で集めた物資や食料を拠点避難所で配付。

県外から初めて支援物資が届いた避難所でテレビ局の取材を受けました。
この後、南三陸町長から「なんとか燃料を調達できないか」との相談も…。
すぐ太平洋側の南三陸町を出発し、国道沿いに西へ西へ軽油を求めて車を走らせましたが、初めて開いているガソリンスタンドを見つけた時は既に日本海側の町へ来ていました。
しかも、「10リットルだけ」ということでしたので、一旦高山へ戻らざるをえませんでした。



一旦飛騨へ戻り、直ぐに燃料を調達し、3月中に灯油約3,000リットル、軽油約3,000リットルを南三陸町へ…。
南三陸町長からも「本当にありがとう、助かった。」


ガソリン・軽油が再び売られ始めた当時は、朝4時頃からガソリンスタンドの前に列が出来始め、6時の時点では既に数百メートルに…。

断熱シートを「冷たい床で寝ていた避難所」に配布。
「板の床は背中が冷たくなって困っていたけど、暖かく寝られるようになった。」と大喜びされました。


大きなお風呂『はまセン飛騨高山の湯』を設置運営

6月下旬、お風呂を運営していた陸上自衛隊が撤退することとなったため、南三陸町から「お風呂を作れないか?」との相談がありました。
2,000~3,000リットル規模のお風呂を男女別で作る…となれば、相当な機材が必要。
「大変そうだけどなんとかやってみよう!!」





6月29日、苦戦した部分もありましたが、なんとか自衛隊とほぼ同規模のお風呂を設置し運営を始めました。
名前は「はまセン飛騨高山の湯」。


世界遺産の白川村から「平瀬温泉の湯」も届きました。
子ども達も、お風呂上りはいい笑顔に…。


8月中旬、「はまセン飛騨高山の湯」も残り数日となってきました。


8月22日、「はまセン飛騨高山の湯」最終日。
延べ7,000人以上の被災者がこのお風呂を利用されました。
南三陸町長と一緒に記念撮影。スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
  

Posted by NPO法人Vネットぎふ&サポートコミュニティ飛騨 at 10:10Comments(0)東日本大震災(南三陸町)